【その椅子に座って。】
【で、俺に何か言う事は?】
【黙ってないで、何か言いなよ。】
夫のひと言一言がユリを追い詰めて行きます。
今では夫に大方知られてしまっていると、ユリは覚悟していましたが、その夫が核心をはぐらかしているのです。
それに耐えじっと俯いたまま、身動ぎもしません。ただ俯いて泣くだけです。
【何時からだ?】
ここで初めてユリが口を開きました。
『お願いです・・・・離婚して下さい。あなたをずっと裏切っていました。こんな私を離縁して下さい。』
ユリは心の中で血を吐きながら夫に言いました。
【俺は、何時からだ。と聞いたんだ。】
ユリの気持ちを忖度せずに真一は再度聞きます。
ユリは一層惨めな気分です。
妻が不倫をしていたのに、夫は怒りもせず、切っ掛けを聞こうとするのです。
自分は、その程度の妻だったのか・・・
仕出かした事を棚に上げ、ユリは夫に怒りと自分に対する哀れさを感じてしまいます。
『異動して少し経ってからです。』
それでもユリは答えました。
【離婚してどうする、一緒になるのか?】
『いいえ、一緒になんかなりません。』
【どうしてだ?好きだから、ずっと俺に隠して関係を続けていたのだろう?】
夫は、誤解しています。ユリが好きで常務と関係していたと思っています。
『違います。あんな人好きでは有りません。誰があんな・・・・人でなしを・・・』
真一は小首をかしげて、違う質問をします。
【好きでもないのに、抱かれていたのか?・・・・ユリねえは、セックス好きの淫乱妻だったと言うのか?】
夫にそれを言われると思いましたが、いざ言われると凄く惨めです。
『違います。違うんです。』
【何が違う?俺を裏切り、今年の初めからずっと、アイツに抱かれていた。その手で食事を作り、その顔で俺に笑い掛ける。よくそんな事が出来るな。!】
ユリは反論できません。事実常務に抱かれた直ぐ後に、夫の食事を作り、夫の他愛のない冗談に笑う、そんな生活でした。
どれ程辛かったか、どれ程罪悪感に押し潰されそうになったか。どれ程泣いたか。今となっては、言っても先の無い事です。
夫を騙していたと言う、事実だけがユリの前に有るだけです。
自分が真一をどれ程愛しているか、その生活を守りたかったか、言っても意味の無い事でした。
初めに凌辱された時に、夫に相談するべきでした。
相談出来なくても警察に行くべきでした。
世間に知られたくない。まして愛する夫にだけは言えない。
そう思った事が、ボタンの掛け違いでした。
あとは良いように常務に翻弄され、彼の女になってしまったのです。
この事について、夫に言い訳を言えません。
嫌なのに、身体を重ねる度に常務に馴らされてしまう。
ユリは女のカラダの哀しい性に啼きました。
物語に中だけの虚構だと、想っていたのに自分に降り懸かって初めて自分の身体を疎ましく思いました。
汚れた指で夫に触れ、夫にキスする自分。
汚れた指で、夫の食事を作り、夫の汚れものを洗濯して綺麗にする。
普通の主婦が当たり前のようにする事が、1つ1つ夫を汚していたのです。
【その子は・・・・だれの子だ。】
決定的な一言です。
これに答えれば、真一はもう手の届かない所へ言ってしまうでしょう。
答えなければなりません。
『・・・・あ・・・あの・・・。』
しかしユリの口から直ぐには言葉が出ません。
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