天使のような悪魔の声で

　マンションのエレベーターの中で、服の乱れをチェックして自宅の階で降りた。
　ドアの前に立つチャイムを押そうとして逡巡する。手を出しては引っ込める。いつまでもそうしていると近所の人に見られてしまう、意を決してチャイムを鳴らした。
　２回目のチャイムを押そうとした時、カギをはずす音が響いた。　
　胸の鼓動が早鐘を打つ、どうしよう、どうしよう。
　「お帰り」
　マンションのエレベーターの中で、服の乱れをチェックして自宅の階で降りた。
　ドアの前に立つチャイムを押そうとして逡巡する。手を出しては引っ込める。いつまでもそうしていると近所の人に見られてしまう、意を決してチャイムを鳴らした。
　２回目のチャイムを押そうとした時、カギをはずす音が響いた。　
　胸の鼓動が早鐘を打つ、どうしよう、どうしよう。
　「お帰り」
　いつもと変わらない夫の声。
　ホッとした。緊張で強張った身体から力が抜けていく。
　『ただいま。』
　普段の顔に戻っているだろうか？チラッと夫を盗み見る。
　大丈夫、普段の通り。
　「彩は？」
　『実家に預けて来たの。病院だと風邪が打ちるかも知れないし。明日は日曜だから泊まって行けって。』
　「そうか、悪いな。お義母さんに電話しておくか。」
　マズイ。
　『良いわよ、孫に会えて嬉しいのはむこうなんですもの。』
　「判った、薫がそう言うのなら。」
　リビングに入って本棚を見る。・・・・・・１冊も無い。
　『あ、あ、あなた本どうしたの？』
　内心の動揺を抑えて恐る恐る聞いてみる。
　「ん？ああ、ダンボールに入れて俺の部屋に置いてあるよ。」
　何でもない様子で夫は答える。
　確かめなければならない事がある。
　『あの、私の物、有ったかしら？』
　「ああ、カバーの付いた奴か？」
　『うん・・・』
　「それなら、さっき彩香が来て持っていったよ。」
　ガタン！！
　「どうした大丈夫か？」
　バランスを崩し、ソファーに倒れこむ薫を夫は支えてくれた。
　『ごめんなさい、ちょっと立ち眩みが』
　「疲れが出たんだな、少し横になって休みなさい。」
　夫は気遣って寝室までついて来てくれた。
　ベッドに横になって考えていた。妹があの日記を持っていったのは、中身を読んで夫の目に触れないようにしてくれたのだと思う。
　妹はあれを読んでどう思うのか・・・姉の正体が・・・人倫にもとるどうしようもない淫らな女だと思うのだろうか。
　思考は別の方向に向かう。
　夫に何もかも告白しなければ・・・そればかり考えてしまう。どう話したら良いのか。夫はどう反応するのか、どう考えても最後は赦してもらえず泣き伏す自分の姿だけだった。
　（そうよね、どんなに心の広い人でも自分が道具として使われたなんて知ったら、怒りで我を無くすか、絶望して心を閉ざすでしょう。ああ、お終いだわ、幸せだったのに・・・分で幸せを壊してしまった。神様・・・赦されるなら、どんな事もします・・・どんな事にも耐えます。・・・夫に捨てられたくないの・・・どうか助けて・）
　ホテルで決心したはずなのに、いざ自宅に帰ると夫に何も話せず、堂々巡りの思考に陥る、弱い女だと自分でも思う。
　枕に顔を埋め声を殺して泣く。それでも嗚咽が洩れる。

　「薫、大丈夫か？」
　ドアの外から夫が気遣いの言葉を掛けてくれた。
　部屋で１人横になって２時間が過ぎていた。
　（・・・あなた・・・）
　もう二度と呼べない。
　『あ・・な・・た』
　万感の思いを込めて呟いた。

　『・・・お話があります。・・・最後まで何も聞かず、私の話を聞いてくださいますか？』
　リビングに入って夫の前に正座し、薫は意を決して話そうとした。
　「顔が真っ青だよ。大丈夫なのか？」
　何処までもやさしい人・・・
　不意に電話が鳴った。
　薫は無視しようとしたが、夫は立ち上がると電話に出た。
　二言三言喋ると受話器を置いた。
　「彩香だ。どうしても話がしたい事があるそうで、戻ってきたと言っている。」
　・・彩香が・・・
　『・・はい。』
　彩香にも聞いて貰うしかない。
　程なくして彩香が薫の隣でやはり正座していた。